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「ゆく春の師系」はこれまで、(1)岡野知十(2)尾崎紅葉(3)佐藤紅緑と辿ってきました。今回はいよいよ「ゆく春」の創始者、室積徂春(むろづみそしゅん)です。

彼が師系から引き継いだものに、俳句の奥義に精通する勉学の姿勢があります。たとえば徂春の最初の師である岡野知十。彼は俳書収集家であり俳句史研究家でした。また自らを「新々派」と名乗り、当時「新派」であった正岡子規と作句信条の面で対峙します。当然弟子の徂春は知十の方針に従います。またしばらく後に徂春は、古今東西の詩歌研究に熱中した佐藤紅緑と活動を共にします。そうした過程において、徂春は自由な題材を心豊かに詠む、古典名作の機微にも通じる「主情派」の姿勢を強めていきます。

  おぼろ夜や芭蕉蕪村の句の心  徂春 (昭和2年~9年の作;以下同)
 憶良恋し実朝恋し春の宵
 とびまけて鳴きまけてゐる雀の子

 

「ホトトギス主観派」と称される一派があります。飯田蛇笏、前田普羅、河東碧梧桐、等々、大正期のホトトギスの雑詠巻頭を飾った俳人達です。室積徂春もこの系列に入ります。この当時のホトトギスではまだ主観句が容認されていました。たとえば徂春の「鴛鴦(おし)の沓(くつ)魔の穿(は)き渡る古江かな」を高浜虚子は賞賛しています(評論「進むべき俳句の道」大正4年)。「単に客観の事実は、鴛鴦が水を渡つたといふのに過ぎないものを、斯く主観的に、理想的にいつたところに此句の生命はある」と。しかしながら大正末期以降、虚子が「客観写生」の姿勢を強化するにつれ、「主観派」はホトトギスを去らざるを得なくなります。この経緯については、2014年の金子兜太氏の著書「語る兜太―わが俳句人生」に興味深い説明がありますので、以下抜粋します。

「『客観写生』というのは、目で見て書くんです。じいっと見て書いて、心は入れない。そのくらいの厳しさで書く。一方、『ホトトギス主観派』と言われた人たちの考え方は心で見るんです。目で見るんじゃない。(中略)2014年現在の俳壇では『ホトトギス』に所属する人の数が多くて領域は広いけれども、『ホトトギス主観派』の人達がやっていた雑誌が、事実上、俳壇の主流を形成している。」

現代では一人の俳人の作品の中に、主観句もあれば客観句もあります。ホトトギスの俳人であっても、客観句ながら巧みに主観的印象を交えた句は多く見られます。そうした「二面性」に違和感を唱えることは最近では少なくなりました。しかし前述の当時においては、そのどちらに軸足を置くかは大問題であったようです。

 春待つ燈明し相思の窓ふたつ  徂春